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新規就農まで

1.移住

 私たちは、UIターンしまね産業体験事業を利用してイチゴづくりを始めました。公益財団法人ふるさと島根定住財団の親子連れ助成金給付を受け、受け入れ先の師匠(池田さん)の元で、イチゴの栽培技術(定植、親株管理、苗の育成、ハウス管理など)を学びました。

 安来市は、UIターンで新規就農研修などを受けた人を対象に、約2,200万円の注文住宅を補助で建築する政策をとっていました。月々3~4万円程の家賃で住むことができ、条件を満たした後は譲渡されるというものでした。夫婦と子供4人を含め6人家族の私たちは、一般のアパートに入居するとなると手狭なので期待をしていました。しかし、検討していくと問題が見つかったのです。なんと、建築できても2LDKほどだったのです。一番下の子は研修開始時に小学1年生で、これから10年以上住むことを考えると補助による戸建ての取得は断念せざるを得ませんでした。急場をしのぐため、私たちは2LDKのアパートに引っ越しをして、研修が開始されることとなりました。

 

2.師匠の元での産業体験

 4月1日から翌年の5月31日まで1年間余り、池田師匠の元でイチゴを学びました。これまでの生活スタイルと180度違う生活の始まりです。季節によって仕事の始まる時間が違いました。収穫も後半の時期には、朝6時前から収穫が始まりました。一日中太陽の下で働き続け、仕事が終わるとぶっ倒れる。毎日がマラソン大会のような日々が続きました。とにかく慣れるまで、朝起きるのがものすごく苦しかったのを今でも覚えています。

仕事の合間に見る大山
仕事の合間に見る大山

 妻には別の苦労もありました。それは、車の運転です。これまで、ペーパードライバーでしたが、島根県安来市では車がないと生活ができません。毎日、イチゴの仕事をしながら、車の運転もがんばりました。

 子供たちはもっと大変です。これまでの友達に別れを告げ、新しい土地で1から友達を作る。自分たちの移住で、子供たちにも沢山苦労させています。そこで、毎週土曜日は、みんなの頑張ったこと嫌だったことを聞きながら、お菓子を買いに行くことにしました。買いに行く場所は、広瀬町のウィズです。広瀬街道を南に10分走りながら、皆の話を聞くにはちょうど良かったからです。

 

3.実践研修

 太陽が昇ると同時に起床、日が落ちるまで一日中太陽の下で働き続ける事も普通になり、翌年の6月から(制度上は翌年4月1日から)実践研修がスタートしました。JAしまねやすぎ地区本部の担い手支援センターでハウスを借りて、自分たちが池田師匠の元で学んだ成果を発揮する、イチゴを育てることが出来るかどうか確認する研修です。この研修期間中は、就職氷河期世代の新規就農促進事業に係る交付を受けることになりました。農業次世代人材投資事業(準備型)というものです。1年間に150万円、夫婦なので1.5倍の225万円の交付がありますが、6人家族の私達には十分なものではありませんでした。

 私には少し変わったところがあり、昔から他人の2倍働くことが良くありました。そして今回も、お金もないし、貯金が減るのも怖かったので、研修に使うハウスを2棟(2倍)に増やしてもらうことにしました。夫婦なので、単純に他人の2倍ではありませんが、ここから地獄の2倍生活が始まります。育苗ハウスも2棟借りて、他人の2倍の苗をつくりました。苗受け用の土づくりも2倍、働く時間も2倍。猛暑の中イチゴの仕事も全部2倍。ただし、収穫だけは3倍くらいになりました。

担い手育苗ハウス①
担い手育苗ハウス①

 イチゴの苗を定植する研修ハウスは干拓地に建っていました。噂には聞いていたのですが、土が最悪らしいのです。恐る恐る触ってみると、サラサラの土だったので安心しました。でも、それは表層だけのサラサラでした。太陽熱消毒を行い、元肥の散布をし、トラクターで混ぜるまでは順調だったのですが、畝立ての段になり、パタパタを通すときにタイヤが滑って進みません。ばか力で畝を立てました。出来上がったのは漆喰で塗ったような畝でした。下層には水が含まれ、練ると粘土のようになる土だったのです。表層のサラサラにすっかり騙されたのです。

 心配になって見に来た池田師匠は、私が死ぬ思いで立てた畝をトラクターで崩し、元の平らな畑に戻してしまいました。その光景を見て、妻は目に涙を浮かべていました。池田師匠は、畝はイチゴの土台で、住宅なら基礎のようなものだと言われ、「もう少し乾かそう、15時頃から畝立てをしよう」と言い残し去って行かれました。

 1棟目の畝立てで水分の調整がポイントだとわかりました。2棟目の畝立ての時は水分を飛ばしてから畝立てを行いました。少し乾き気味で、サラサラし過ぎてしまい、立てた畝が風で少しずつ崩れました。土を動かす事の難しさを痛感しました。

 1棟目の苗の定植は素晴らしく大変でした。土がカチコチで、手では土が掘れません。仕方なく、スコップで植え穴をほじくりました。畑に水やりをすると、1棟目の畝はどんどん沈んでいきました。カチコチの土は一つ一つがパチンコ玉の様になっていて、水がしみ込むと溶けていったのです。六方細密充填された土玉がとけて畝の高さは半分くらいになってしまいました。1棟目に植えているのはかおり野で、果梗が長くなる品種です。通路に実が垂れ下がって踏み潰してしまうのではないか。そんな不安にかられました。そして、翌日から通路をスコップで掘る仕事が始まりました。全部の通路から土を掘りだして、ハウスの外には、土の山が出来上がりました。2棟目は乾き気味で仕事したおかげで、1棟目のような苦労はありませんでした。

土との戦いを制す
畑の土をスコップで全部掘る

 畝立てした後に通路をスコップで掘る仕事なんて誰もしません。そんな仕事ばかりして、どんどん時間が過ぎました。妻は子供が小さいので、家の仕事を優先して毎日少し早く家に帰ります。私は、無駄な仕事に時間を費やしました。気がつくと、ランナーは伸び放題、下葉はそのまんま。イチゴが気楽に成長しています。手間遅れです。見たこともないイチゴの森が2棟。イチゴは生き物で勝手に成長を続けます。手間遅れを解消するには、他人の2倍働かなくては追いつきません。しかし、ハウスは2棟あります。つまり、4倍働かなくてはならないのでした。朝早くから、暗くなるまで他人の2倍働きましたが、手間遅れがこんなに大変な事なのだって、初めて気づかされました。

 心配になって見に来た池田師匠が、奥さんと、バイトさん1人を連れ1日手伝ってくれました。手間遅れが解消した瞬間です。何かが知らせているのでしょうか、ピンチになるとふらっと師匠がやって来ます。

 いろいろな苦労の末、2棟のハウスは真っ赤なイチゴでいっぱいになりました。夫婦2人で採りきれる量ではありませんでした。熟練のイチゴ農家さんなら違うと思いますが、当時の自分たちには無理で、研修中からアルバイトさんを雇うことになりました。

 

4.リースハウス事業

 イチゴの仕事に全力で毎日過ごしていました。一人でイチゴがつくれる、やっていける。そう自信をつけてきました。でも本当は、来年からの新規就農に向け、就農計画書を作成したり、自分たちのハウスを建てる為リースハウス事業の準備をしたりしなければならなかったようです。研修中の僕たちを見ていれば、そんな暇がないことはわかるはず、準備していないのはわかるはず、なのに関係機関からアナウンスはありませんでした。結局、新規就農してもハウスがないことが確定してしまいました。とても不思議です。憤りを感じます。リースハウスは補助金が2/3位あるみたいです。リースなので、故障などしてもJAとかが直してくれます。3,000万円の新品のハウスが1,000万円で建築出来たり、新規就農者には願ったり叶ったりの制度です。でも、私たちは利用することが出来ませんでした。

 そんな時、圃場整備事業でイチゴのハウスを解体するけど要りませんか?という話がありました。間口7.2m奥行50mの川井さんのハウスです。実は川井さんは以前知り合っています。2倍作った苗は出来過ぎて沢山余りました。そして、炭疽病で苗が足りなかった川井さんに苗を譲っていました。縁はこんなところで繋がっていくようです。でも、他の新規就農者さんはピカピカの新品ハウス。僕たちは40年前の中古のハウスです。当時は、悔しい気持ちでいっぱいでした。ハウスは、川井さんの隣の佐藤さんのも貰うことになりました。貰うといっても、解体費用と運搬、補修して新しい場所に建築する費用を、全て私達が支出するというものです。新品のハウスは高額なので、私達も助かるのですが、元の所有者は解体撤去費用が浮きます。そして、ハウス業者さんは移設後も収益が見込めます。ある種の、三方よしです。リースハウス事業は適応されないので、銀行に行って借り入れて支払いを行いました。

 川井さんからは、電照やタンセラ、収穫箱など様々なものを貰いました。また、4年後には、イチゴを辞められたので、ハウスをもう1棟貰いました。トマトや玉ねぎ、大根や人参、こんにゃくに茄子のからし漬けも貰いました。イチゴを辞めた後も、川井さんとの付き合いは続いています。

 

5.就農する場所

 ハウスは2棟確保できました。就農する場所を決めないといけません。いろいろな場所が候補に挙がりました。最終的に、池田師匠の畑の近くに決まりました。4,400㎡(約4反)で昔イチゴハウスがあった場所です。田んぼの持ち主は、現役のイチゴ農家さんです。緊張しながら挨拶をして、農地を借りる契約をしました。また、就農時に2棟だと収入が少なくて困ることが予想されたので、ちとしさんのハウスを借りることになりました。

借りる予定だったビニールハウス
借りる予定だったビニールハウス

間口5m奥行100mの古いハウスです。池田師匠が間に入ってくれたおかげで、だんだん話が進み未来が固まってゆきました。

 

6.新規就農と農業次世代人材投資事業(経営型)

 島根県大田市にある農業大学校で、農業次世代人材投資事業(経営型)の説明や承認の会合が開かれました。一人ずつ会場に入り、審査員の人達と面会しました。これまでの説明では、経営型の交付金も225万円あるということでしたが、制度が変更され、私達は交付から外されてしまいました。子供が4人いて、普通に生活が苦しいのに全然理解されない。制度とは名ばかりです。自分達だけの資金でハウスを建築し、初めてのイチゴで生活できるか不安の中、通常なら受けられる225万円の交付も切られてしまいました。地元の農家さんに、「新規就農者は、家を建ててもらってリースハウスで新品が手に入るから良いね。」って、よく言われます。私達はそのどれも貰っていないので、自己資金で仕事をしていることを伝えます。

 就農計画を作っている間に、他のハウスの話が舞い込みました。間口7.2m奥行34mが4棟です。早速、計画に盛り込みました。また、自前のハウスが揃いそうなので、ちとしさんのハウスは借りないことになりました。市の担当者さんは、私達の就農計画がころころ変わるので、きっと大変だったと思います。

 紆余曲折を経て、令和3(2021)年9月1日新規就農者として独り立ちを始めました。

 最後に、いろいろな作業が出来ると思っていましたが、池田師匠と過ごした1年間、どれほど師匠に助けられていたのかが、身にしみてわかりました。同時に、イチゴ農家がわかったつもりになっていました。これから、本当のイチゴ農家の日々が始まります。